私の人生観に関するニュース


デイリースポーツ

『ヒックとドラゴン』イメージソングを歌うベッキー♯「私の人生は奇跡だらけ」
ウオーカープラス
まるでエメラルドの宝石を磨いていくような作業でした」と、自身の努力を明かした。同作とイメージソングのなかには、友情と奇跡のメッセージが盛り込まれており、ベッキー♪♯は「奇跡は、ひとりひとりが起こせるもの。私の人生は奇跡だらけ」と謙遜し、続けて「奇跡に ...
ベッキー♯、最近一番の奇跡は「山形空港のチーズドックの美味しさ」BARKS
ベッキー#、「奇跡は起こせる」と食道がんを公表した桑田佳祐にエールシネマトゥデイ
ベッキー、仕事優先で「恋も家族も友情も後回し」ORICON STYLE

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普通の少年の終戦 横浜・海老名で来月上映
朝日新聞
「悲惨な戦争体験」のない、ごく普通の少年が見た終戦の日は――。横浜市磯子区の映画監督福間雄三さん(59)のドキュメンタリー作品「私の青空・終戦63」が8月7日と14日、横浜市内と海老名市内で上映される。終戦時少年だった2人の男性が、「戦争の悲惨さ」という ...


CNN Japan

ドルチェ&ガッバーナ、ファッションへの思い語る(上)
CNN Japan
ドルチェ:服だけでなく、私の誠意や人生、愛、スタイル、考え方を理解してもらうことが夢だ。顧客はただスラックスやシャツを購入するだけでなく、そのムードや人生観を買う。私にはこれがとても大きなことだ。 CNN:服だけにとどまったら、つまらないと感じるだろ ...

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ORICON STYLE

蒼井優インタビュー「いとおしいと思える人たちと出会って、自分がゆるくなった」
ORICON STYLE
8月17日に25歳の誕生日を迎える蒼井は、「最近の課題は年下の役者さん。私のほうがモジモジしちゃう」と苦笑い。映画『おとうと』に出演した時は、主要キャストの中で“最年少”だったが、「そろそろ甘えている場合じゃなくなってきた」とおどけた。 ...


375 MBA出身者でもつまずく人生 - クリステンセンのモデルで考える
マイコミジャーナル
当時を振り返ってChristensen氏は「Grove氏に、プロセッサ事業に対する考えを伝えていたら、おそらく私の主張は受け入れられなかっただろう。答えではなく、どのように考えるかを伝えたことで、彼自身の正しい判断と私が感じるところにたどり着けた」と述べている。 ...

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私の人生観旅行記

カンボジア訪問記1 「東洋の真珠」プノンペン1(by arfaさん)

私の人生観
1998年にはじめてカンボジアに行ってきました。

当時は’97年にフンセン、ラナリットの最期の内戦終了後まだ1年で空港からタクシーに乗ったまま行方不明になったとか、警官に会ったら20?をたかられるとか治安の悪さが噂される国でした。
そんな中、おそるおそる行ってみれば人々の明るい笑顔と希望に満ちた瞳の素晴らしい国でした。

街中には足のない人や観光客の同情を集めるため手を切り落とされた赤ん坊などが溢れていたけれど、23年の内戦から開放され平和の中で人々は貧しいけれどこれから自分たちで国を再建するんだという意気込みが感じられ私の人生観を変えた国になりました。

【旅行時期】1998/11/12~1998/11/18
【エリア】プノンペン
【テーマ】ひとり旅
【投稿者】arfa

欧州バックパッカーの旅【19】 1971年の旧ソ連、モスクワから帰国(by さすらいおじさんさん)

私の人生観
7月後半のモスクワは暑かったが9月中旬のモスクワは薄寒く落葉、紅葉が進み、日本の晩秋を思わす光景。夕暮れも早くモスクワの夏の短さを実感した。天気が良く、りんご、桃の果樹園を通りモスクワ大学に行くと地質学を専攻する学生が3人、キャンバスのベンチで休憩しており言葉を交わす。講義をのぞいてみたいと頼むが断られた。果樹園でモスクワ産の小粒のりんごを買って食べるが、水気が少なくスカスカした感じだった。
モスクワからは20時発のアエロフロートの国内機でハバロフスクまで飛ぶ。ヨーロッパではまともな食事をほとんどしていなかったので、夕食の鶏肉、ポテト、キャビア、ピクルス、鱈の塩漬け、瓜の漬物、パン、ケーキ、りんご、紅茶の夕食が豪華に思えた。機内で迎えた夜明け、雲の上に弧を描いて白んでくる空、弧の周りが次第に青みがかり、弧の中央に黄色い朝日が少しずつ広がる。太陽に向かって飛ぶ飛行機から見る朝の訪れは素晴らしい光景だった。ハバロフスクからナホトカはシベリア鉄道、ナホトカから横浜は貨客船バイカル号。税関では荷物を全部あけたが、フィンランドに出国した時の鉄道検査官の容疑者取調べのような厳しさはなかった。船旅はまる2日。甲板にはビリヤード、卓球、輪投げ、チェスなどの遊具があり、船内には映画、ピアノの設備、談話室にはトランプなどの遊具があり、夜は楽団が演奏しダンスを楽しむロシア人も見られた。だが、日本海は荒れていて、船は木の葉が波に舞うように、10mの大波に飲み込まれそうに見えるほど上下に揺れた。私は生まれて初めて船酔いを経験し、一日ベッドで横になっているという情けない船旅だった。船が津軽海峡に近づいてようやく波が静かになり船酔いも収まった。
バイカル号が横浜に到着、税関の検査を受けるがソ連が厳しかったので、簡便な検査のように思えた。
1971年の66日間の旧ソ連、ヨーロッパの旅は私にとっては初めての体験ばかりで強いカルチャーショックを受けた。青春時代に受けたカルチャーショックは私の人生観を変えてしまった。1971年以後は2005年まで長期の旅はできなかったが、私を旅の魅力にのめりこませた。私は現在も将来も恐らく体が動かなくなるまで旅を続けるだろうと思っている。
(旅の費用)
66日間の総額56万円。1ドル360円の時代だから、1ドル120円の現在に換算すると2,016,000円。内訳は旧ソ連内の往復旅費・宿泊費・ビザ等が222,000円、ヨーロッパ鉄道パス45,000円、ヨーロッパ各国での宿泊、移動、観光、食事、その他の費用293,000円。トラベラーチェック700ドル(1ドル360円−252,000円)と日本円30,000円を持参した。
(写真はナホトカから横浜まで帰国便のバイカル号)=1971年の旅 完=

【旅行時期】1971/09/15~1971/09/20
【エリア】モスクワ
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

【プー太郎の間に】憧れのチベットへ。(by みわまんさん)

私の人生観
会社を辞めたので、憧れのチベットへ。いや、チベットに行きたいから会社を辞めたのか・・・。

旅行の目的は空を見ることと、厚い宗教心にふれること。
ネパールからバスで5日、ラサに着きました。

正直いって、ラサはひらけ過ぎていて、「本当にここはチベット?」と行った感じ。道中の山々の景色の方が、私の心を奪いました。

標高5000m。よく高山病にならなかったもんだ。世界一過酷な生活環境と言われるこの土地で、人々は本当に力強く生きていた。

木1本も育たないドライマウンテン。5秒も走れば息が切れる。
風にはためくタルチョ。彼らの生活は間違いなく宗教に支えられていた。
真っ黒な顔で走り寄って来る子供たち。
何度飲んでも馴染めなかったバター茶。

そうした数々の風景は私の人生観さえかえてしまったのでした。

【旅行時期】2004/08/~2004/09/
【エリア】チベット自治区
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】みわまん